AUSCHWITZ-BIRKENAU

AUSCHWITZ-BIRKENAU

3年生の時のWordPressのサイトで先月行ったヨーロッパ旅行についてまとめていますが、こっちのサイトでは行ってみて一番よかったアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館についてピンポイントでまとめていきます。

プラハから夜行列車に乗ってクラクフという街に行きました。アウシュヴィッツに行くときはここからいくのがおすすめです。
このときめちゃくちゃ気温が低くて確か10度もなかったと思います。このあとちゃんと風邪を引きました。

朝の7時半についたのですが予約しないで行ってしまったので、アウシュヴィッツには入れるのが16時からになってしまいました。それまで少し離れていますがビルケナウの方に行ったり、ご飯を食べたりして時間を潰すことにしました。

朝早すぎたのでアウシュヴィッツからビルケナウに行くバスもやっていませんでした。歩いて30分かけてビルケナウの方につきました。上の写真は教科書とかにもよく載っている死の門です。

反対側をみてみると、こんな感じになっていました。たくさんの人が列車でここに運ばれてきたんだろうなと実感しました。

来る前にベルリンで昔の駅の遺構を見つけたんですけど、こういったところからビルケナウに列車が集まっていたそうです。

写真だと伝わるか微妙なんですけどほんとに広いところでした。敗戦が濃厚になってきて、やってたことを隠蔽するために爆発させられたガス室などがめちゃくちゃたくさんありました。
場所自体はほんとに穏やかなところで、時間もたくさんあったので木陰で結構長いこと休みました。
人が焼かれていたところでは、実際に人を焼いている写真がありましたがここには貼りません。みたい人は教えてください。

実際に個々で収容されていた人がどんなところで暮らしていたのかもみることが出来ました。これはトイレだそうです。隠れるために子供はここの便器の中に入っていたりしたそうです。

ベッドはこんな感じでした。冬は寒すぎたので端っこの人は凍死してしまうこともあったそうです。
こうしたベッドなどがある建物がめちゃくちゃたくさんありました。

死んでいった人への場所もありました。

16時までビルケナウをまわってご飯も食べてついにアウシュヴィッツの方に入ることが出来ました。上の写真は働けば自由になると書かれた有名な門です。Bの文字が逆になってます。

すぐにガス室のところに行ったんですけど、たまたま誰もいませんでした。

ガス室を出るとすぐにこれがありました。ここではガス室で死んだ人を焼いていたそうです。

実際に殺すために使われたガス缶も展示されていました。

展示には当時の歴史のことなどを紹介したものが多かったです。写真などもたくさんありましたが、衝撃的な写真が多かったです。

殺されていった人たちの所持品などもたくさんありました。実際にみてみると言葉が出ないです。

この壁のところではたくさんの人が銃殺されたそうです。壁自体は再現されたものらしいですが、実際にこの場所でたくさんの人が死んだそうです。

周りの鉄格子には当時は電流が流れていて、逃げ出そうとした人が死んでいったそうです。

実際に行ってみると教科書とかで習う歴史とは違って感じるので是非、行ってみてください!